「暗い心に代えて讃美の衣」 07.12.09
イザヤ書 61:1〜11
ある安息日、主イエスがナザレの会堂で聖書を朗読され、
「その聖書の言葉は今日実現した」とおっしゃいました。
朗読されたのは、イザヤ書でした。そこに描かれることに、
ご自分を重ねておられたのです。
シオンのゆえに嘆いている人々に灰に代えて冠をかぶらせ
嘆きに代えて喜びの香油を暗い心に代えて賛美の衣を
まとわせるために。(イザヤ61:3)
イザヤ書の時代、シオン(エルサレム)は、戦争に敗れて廃墟と
なっていました。しかし、人々が嘆いているのは、ただ町が廃墟と
なったからではありません。ただ敵国を恨んで嘆いていたのでは
ありません。その辛い現実の原因に、自分たちの罪があったと
認めているからこそ嘆いています。辛い現実の責任を、どこかに
なすりつけることができないのです。それゆえに、嘆きはいっそう
深いものでありました。
私たちの出会う辛い現実も、しばしば自分の罪が深くかかわって
いることがあります。そして自分を責めるしかない時、その嘆きは
実に深いものになります
自分の罪を認め嘆くしかできない人。
貧しく弱く、神さまに求めるしかできない人。
打ち砕かれた悔いた心で赦しを求める人。
神ならぬものに捕らわれてしまって、本来あるべき神さまの前に
戻れないでいる人。
そのような人のところに、自分は神さまから遣わされたと、主イエスは
おっしゃいます。そのような人が罪赦され、神さまの前に迎え入れら、
神さまの前で素直にイキイキと自由になって生きられるために、
主イエスが神さまのところから遣わされました。だからクリスマスが
おこったのです。私たちが目にする現実には、人間の罪による悲劇や
混乱があふれています。
自分自身も、この世界もそうです。
それを認め、悔い改めることが必要でしょう。
しかし、讃美の衣をまとわせる救い主として、
主イエスは、もうすでにお生まれになっておられます。
それゆえ希望があります。